走りながら考える

「在宅医療の普及」もう少し風呂敷を広げると「医療や介護に関わる新しい形の

サービスや選択肢を世に提示し広めていく」という仕事に携わって

もう四半世紀近くになります。いきなり大上段に振りかぶるようで

少々面映ゆいのですが、私はこれを天職だと思っています。

決してカッコつけるわけではなく(力んではいますが・・・)

「やらされている」のではなく「やりたい」、「自分達でつくらないといけない」というある種の使命感のようなものが常に自分の心のどこかにあり、それを原動力に

これまでの日々を過ごしてきたように思います。

 

とはいうものの、私も普通の人間ですし、仕事ですから楽しいことばかりでは

ありません。会議のための資料作りなどは大して面白くないし、運営月報の作成などは「やらされている感、満載!」なのは正直なところです。

でも月報とて、仕事の進み具合や成果をまとめ振り返るためと思い直せば

苦痛も和らぎます(もっとも最近は成果の確認より、バックオーダーが

どれ位たまったか、どの位ビハインドかといった厳しい現実を突きつけられ

凹むことの方が多いのは事実ですが・・・)。仕事は一人ではできませんので、

チームの仲間に思いを伝えたりアイデアをもらったりするための準備だと考えれば、

自分の中の前向き回路に灯を点すことができ、会議の準備にも喜びを

感じることができる・・・ような気がします(単なる妄想かもしれません)。

 

そんな私ですが、この仕事をしていて本当に辛いこと、辛く感じる時があります。

それは自分の友人や知人・身内などから医療・介護に関する相談を受けた際、

ニーズを満たせるリソースを持ち合わせておらず応える術が無いという場面で、

この時に感じる無力感ほど情けなくやるせないものはないといっても

過言ではありません。辛い思いをしないためにはできるだけ多くの仲間と

できるだけ広い地域をカバーできるように頑張ろうというのが

仕事に向き合う上での行動原理になっているのかもしれません。

 

随分前ですが私は他県で訪問介護と居宅支援事業の事業所の管理者を

務めたことがありました。介護事業は利幅が少なく仕方ないことなのですが、

他所の事業所同様、スタッフの大半は登録ヘルパー(=時間雇いのパート職員)の

オバチャンたちの集まりでした。

幸い一人一人は思い優しく人生経験豊富な方々でしたので、

一通りの仕事はこなせる体裁にはなっていたもののチームといえる状況にはなく、

仕事を請ける・請けないという判断も属人的に決めざるを得ず、

また着任当初はなぜか色々な事件が起こり、ふた月に一度は大クレームの対応や

事故処理に大わらわ・・・というような有様でした。

具体的な到達目標を定め所内研修を実施し、定期的にケアカンファレンスを開き、

また成功している他の事業所の方々のアドバイスも仰ぎながらほぼ一年が経過。

それまでは家事援助が中心、というよりそれしか請けられなかったのですが、

在宅医療が必要な医療依存度の高い方にも身体介護を提供できるような

チームにようやく仕上げることができた、そんな頃の話です。

 

私の知人から「母が癌の末期で入院しているが、本人がとにかく家に帰りたいといって

聞かないので何とかしたい。日中は共働きで手がないので身の回りの世話と

見守りをお願いできるようなところをどこか知らないか?」という相談を受けました。

たまたまそちらのお宅はちょうど訪問エリアの中だったこともあり、

少し心許ないところがなかったわけではありませんが我がチームで訪問介護を

ご提供することとなりました。幸い私は既に在宅クリニック数軒の立ち上げを経験し、

診療の同行などを通じて癌のターミナルの患者さんへの在宅緩和ケアが

どのように行われるかを目の当たりにするという経験があったので、

拙い経験を基に、どこを観察し何を情報共有し、

そしてどのように医療につなげるか等々、スタッフたちと一緒に研修を重ねたり、

書式を整えたりと、まさに走りながら考えるといった毎日でしたが、

とにかく体当たり的に取り組んだことを覚えています。

結果として約3ヶ月の間、在宅療養のお手伝いができましたが

最後は再入院されそこで他界されました。

 

後日ご家族から「本当に良くやってくれた、ありがとう。最高のケアチームだった」とのお褒めのことばを頂戴し、スタッフたちも随分自信がついたのでしょう。

それ以降さらにチームの結束は強くなり・・・といいこと尽くめのようだったのですが、

私自身は釈然としない思いを強く感じていました。

それは「この利用者の方は介護の面では良いサービスを受けられたかもしれないが、

医療の面では随分プアなサービスしか受けられなかったのではないか?」との疑問が

最初から最後まで心の中から消えることがなかったからなのです。

この方は随分癌性疼痛に悩まされ、本当は最後までお家にいたいというのが

ご本人のご希望だったのですが、痛みの増強があまりに激しく

最後は痛みのために家にいられなかった、というのが実際でした。

 

ご本人もご家族も病院の主治医を信じ頼っていることが

お話しを伺う中で良く伝わってきたので、余計なことはいわずにいましたが、

ドクターからは「(末期なので治療面で)もうやることはない」という説明を

受けていたようで、それを真に受け、そういうものなのだという

納得をされていたようでした。癌の「治療」という点ではその先生のいう通り確かに

「やることはなかった」のかもしれません。しかし在宅緩和ケアにきちんと取り組み、

患者の痛みに向き合って適切に薬を使ってくれるドクターさえいれば

穏やかに自宅で最後を迎えられる、そういう看取りをされたご家族のお手伝いを

前職で何例も経験してきた私には、仕方がないこととはいえ呑み込んで

腹に収めてしまうにはかなり重い現実でした。

そうはいっても当時(もしかしたら今も?)私のいた介護事業所の近辺には

きちんと在宅緩和ケアに取り組むドクターは見当たらず、

そもそも在宅医療自体手がけている診療所も皆無に等しい状態でしたので、

代わりの選択肢を提示できないのに余計なことはいえないということで

悶々とした気持ちでいたことを思い出します。

「ああ、ここが品川や目黒であれば」

「もしここが世田谷区内だったら」、そんな思いが何度も頭の中をめぐっていました。

 

お見送りの際にも、ご家族より労いの言葉をかけていただいたのですが、

耐えがたき痛みに耐え最後は痛みのために家を離れなければならなかったことについて

申し訳ない気持ちで一杯になり「とてもいいお手伝いができた」という気持ちには

なれませんでした。心の中で「お役に立てずに申し訳ございませんでした」と

謝りながら、手を合わせたことを今でも思い出されます。

 

在宅医療に24時間365日、きちんと取り組むことは正直大変な仕事ですので、

なかなか担い手も少なく、また私達の努力もまだまだ足りないのでしょう。

展開のスピードが思うようにいっておらず偉そうなことは何もいえないのですが、

あの時に感じた「医療の地域格差の解消」というのは今でも私の中で

重要なテーマとしてあり、生涯の課題であるとも言えます。

私にとって新しくクリニックを増やしていくということは、

小さい積み重ねかもしれませんが、日本の医療の在り方を確実に変えていくことが

できる、そうしたことを皮膚感覚で理解し、実践できる、そういう仕事であり、

だからこそモチベーションが維持できるのだ、そんな気持ちでいます。

 

繰り返しになりますが在宅医療の地域格差を解消するためには、

まだまだクリニックの数もドクターの数も足りませんし、

それを支える仲間の数も十分ではありません。

事業は継続しなければなりませんし、ましてやそれが医療サービスであれば

尚のことです。初心を忘れず、続けていくためには、まずは身体が資本ですから、

健康維持・増進のためにこれからも「走りながら考える」を

実践して行きたいと思っています。