映画の中の神経疾患

- 毎回、映画の中の神経疾患について取り上げてみます -

まず第1回は映画「潜水服は蝶の夢を見る」(2007)です。

この映画は、自由奔放な雑誌ELLEの編集長ジャン=ドミニクが冒頭、病院のベッドの上で目覚めるシーンから始まります。周りの人が見え、言っていることは聞こえ理解できますが、体の自由が奪われ、声を出すこともできません。唯一できるのは左眼を動かすことと瞬きすることです(このあと右眼は閉眼できないため角膜を保護の目的で瞼を縫いつけられてしまいます)。そして言語療法士の訓練のもと、左眼だけで文字通りアイコンタクトで周囲の人たちとコミュニケーションをとっていき、周囲の人の協力で自分の現状を一冊の本にするというお話しです。ジャン=ドミニクは潜水服を着たような不自由な体ですが、自分の記憶と想像力で蝶のように飛びまわって楽しんで時間を過ごしていきます。

ところで、この主人公の病気は、脳血管障害による「locked-in症候群(閉じ込め症候群)」だと映画の冒頭で医師の説明があります。この症候群はPlum and Posner(1966)により始めて記載された症候群であり、大脳と脊髄をつなぐ脳幹部の、なかでも橋の腹側(前側)に脳梗塞などの脳血管障害(そのほか外傷や腫瘍、脳炎でも起きる可能性があり)が起きたときに現れる稀な症状です。手足が動かないため、一見意識がないように周りからは思われますが、本人は意識が清明で、ただ単にそれを伝える方法がない状態なのです。橋の背側(後ろ側)が障害されていないため、他の随意運動をする神経が障害されていても、眼や瞼を動かす機能が残っている場合があり、この映画でも瞼を閉じることで他人とのコミュニケーションがとれています。

この主人公は、現代版「モンテクリスト伯」を書く約束を出版社としている最中に脳卒中発作を起こしましたが、結局その出版社からはこの映画の原作「潜水服は蝶の夢を見る」を出版することになりました。映画の途中で主人公がA・デュマの著書「モンテクリスト伯」を手に入れ、その開いたページにはノワルティ・ドゥ・ヴィルフォールという人物のことが挿絵入りで記載されています。この人物は病気によって手足の自由が奪われ、自分の意思を伝える手段として瞬きや眼を上下に動かして他人とのコミュニケーションを行います。そうですこの症状はまさにlocked-in症候群なのです。そのためlocked-in症候群は別名「モンテクリスト伯症候群」とも呼ばれています。この著書は医学的に報告される100年も以前に書かれたものなので、著者の観察力のすばらしさが伺われます。多分この偶然は映画の演出ではないかと思われます。